「 THE SAX 」

<雑誌 「 THE SAX 」 VOL47. 2011 年 7 月号>から抜粋 

MUSIC UNDER NEW YORK  ニューヨークの地下に息づく音楽 

Interview with YAZ - あきらめないで続けること - 

ニューヨークの地下鉄駅構内では、様々なジャンルのミュージシャンが昼夜問わずパフォーマンスを繰り広げている。このようなパフォーマンスができるのは、 MTA ( Metropolitan Transportation Authority )の下部組織 “ ART FOR TRANSIT ” の一部である、“ MUSIC UNDER NEW YORK ”が年に 1 度オーディションを行ない、パフォーマーに許可を与えているためだ。 

MTA の環境は、日本の地下鉄とは比べられないほど、衛生的にも治安も良いとは言えない。しかし、この地下鉄でのパフォーマンスから数々の偉大なアーティストが輩出されたことは周知の事実だ。ニューヨークでは不思議なことに、どこかで音が鳴り始めると、その場所やパフォーマーの身なりに関係なく、内容さえよければすぐに聴衆が集まり、即席のコンサート会場がその場にできてしまう。そんな大都市ニューヨークの地下で、“ MUSIC UNDER NEW YORK ” の名のもと演奏する一人の日本人サックスプレイヤーがいる。その男の名は「 YAZ 」、本名を高木靖之という。1992 年 4 月、彼が渡米して以来、この街に根ざした活動を続け、数多くのミュージシャンと共演。 2002 年に MUSIC UNDER NEW YORK のオーディションに合格し、その後同組織において日本人として初めての審査員となった。現在彼は、アメリカ永住権を手に入れ、自らのリーダーバンド「 YAZBAND 」を中心に、ニューヨークの街で演奏をつづけている。アメリカでミュージシャンとして生き抜くことは並大抵ではないだろう。しかし、そのすべてのきっかけは「ニューヨークにいけば何か得られるんじゃないか?」という漠然とした“想い” から始まったという……。 

NEW YORK シリーズの記念すべき第一回は、数少ない MUSIC UNDER NEW YORK 公式プレイヤー、 YAZ 氏にスポットをあててみよう。 

─サックスを始めたのはいつごろですか? 

YAZ  僕はサックスを始めたのが遅くて、大学の吹奏学部からなんです。当時デヴィット・サンボーンが好きで、アルトサックスをやりたかったんですが、「背が高いから」という理由でテナーを吹くことになってしまって……(笑)。 

─大学を卒業してすぐにニューヨークへ? 

YAZ  いえ、音楽をやりたい気持ちはあったんですけど、ニューヨークに行くほどの情熱はなくて。地元に戻って就職して、プライベートレッスンに通っていました。 NY に行ったのはもっと後なので、ほんとに遅いスタートですよ(笑)。 

─ ニューヨーク行きを決めたのはなぜでしょうか。 

YAZ  一度 NY へ旅行に行ってみたんです。とりあえず本場でジャズを聴いてみたいと思って。その時驚いたのは、ピザ屋みたいな小さい店で、ボブ・ミンツァー( Ts )がデュオライブやってたんですよ! すごいミュージシャンが身近なところで演奏してる。それを見て火がついちゃって、いつか住んでみたいと思ったんです。それが今ではニューヨークに住んで、もう 19 年になります。 

─渡米する前にいろいろ準備されていたんですか? 

YAZ  語学も何も準備してませんでした(笑)。当時は観光でも 6 ヶ月は滞在できたので、とにかく行ってみようと。でも来てみると、名前も知らないような人がものすごくうまくて、打ちのめされた。「俺なんか何にもならへんな……」って落ち込んでいたんですが、ある時公園で練習していると、ロブ・シェップスというサックスプレイヤーがたまたま通りかかって、「そうじゃない、貸してみろ」といきなり吹き始めたんです。それがきっかけで、ロブのプライベートレッスンを受けることになったんですよ。それからは、日中はバイトで皿洗いをしながらレッスンをつづけ、夜中はアパートの地下室で一晩中練習してました。ロブは合理的に説明してくれて、効率的な練習方法も教えてくれました。いろいろと知らないことを教わり、目からウロコでした。 

─日本からみると、海外のジャズ奏者は全部感覚でやっているようなイメージがあるのですが……。 

YAZ  そんなことはないですね。むしろ常に効率化を図ろうとします。譜面を効率的に読む方法だったら、まずリズムを見て、音程を見て、吹きながら次の小節を見るんだよとか、合理的な方法をたくさん教えてもらいました。 

─セッションには参加していましたか? 

YAZ  ニューヨークに来た当初は、クレオパトラズ・ニードルやレノックス・ラウンジ、ユニオンなんかのセッションによく行ってました。いろんなことがありましたよ。モタモタしてると後ろに並んでいた人がいきなり吹き出したりして……なんだコイツ腹立つな、みたいなね(笑)。 

─ YAZ さんにとって、プロフェッショナルとはなんですか? 

YAZ  これは日本とだいぶ意味合いが違うでしょうね。日本でプロと言えば演奏だけで食べている人だと思いますが、こっちでは音楽以外の仕事をやっていても、演奏でお金をもらっていたらプロフェッショナルなんですよね。昼間は普通にフルタイムで働き、夜はギグに出てすばらしい演奏をするような人がいっぱいいるんですよ。 

─今、 YAZ さんがプレイする音楽を敢えてジャンルで括るとすれば、何に当てはまると思いますか? 

YAZ  そうですね……、ニューヨークだと僕のやってる音楽は JAZZ なんですよね。でもニューヨークの日本人には 「君たち JAZZ じゃないからね」って言われたり。自分の音楽を一 言で説明する時は JAZZ と言うけど、細かく説明するならば「ミクスチャー・オブ・ブルース、ファンク、 R & B and ジャズ」と言ってます。 

─地下鉄駅構内で演奏するとき、ジャズ・クラブとは聴衆や環境的にもまったく違うと思いますが、実際はいかがでしょうか。 

YAZ  トラブルは非常に多いですね。いい意味でも悪い意味でも様々な人が絡んできます。公式な MUSIC UNDER NEW YORK のミュージシャンは 2 週間ごとにスケジュールが送られてきて、演奏場所や時間が決まっているのですが、無許可の演奏者も結構いて、彼らが場所を譲ってくれないとかはよくありますね。でも、何回か顔を合わせるうちに仲良くなったりすることもよくあります。つい最近も、目の前で踊っていたホームレスがいつの間にか倒れていて、救急隊が来て運ばれたり、グランドセントラルという大きい駅で演奏してた時はいきなり館内放送で避難の指示が流れたり。こんなエピソードはたくさんありすぎて、話しだすときりがないです。 

─ チャンスが転がり込んでくることは? 

YAZ  それもあります。この前なんか、たまたま見ていた人が僕らを気に入ってくれて、 そのまま韓国ツアーにつながりました! 

─ニューヨークならではのお話ですね。さて、今日本では東日本大震災が起こり、世界中からサポートしてもらっています。ニューヨークでもチャリティなどの動きはありますか? 

YAZ  ニューヨーカーは相手が日本人だとわかると必ずと言っていいほど「家族は大丈夫か?」と心配してくれます。ニューヨークでもこの大震災は非常に気になることであり、日本のために何かしたいと考えてくれている方は数限りなくいらっしゃるみたいです。チャリティ・コンサートもたくさん開催されていますし、ニューヨークにいる日本人の方々が力を合わせ、日本のためにいろいろ頑張られています。 僕の場合、自分にできることは何かを考えた結果、ウェブサイトに American RedCross と日本赤十字のリンクを貼りました。地下鉄で演奏するときにチラシを配っているのですが、そこにも同様に内容を記載しました。地下鉄ではたくさんの方が僕たちの演奏を見てくれます。そういった人たちに、日本で何が起こったのか、どこに寄付をできるか、情報を提供する。寄付するかどうかは個人の判断ですので、押し付けがましくないよう留意してます。 

─日本でプレイヤーを目指している読者に応援メッセージをいただけますか? 

YAZ  あきらめないで、頑張ることです。僕はしつこくしつこくあきらめないでやったので 今ニューヨークで演奏できるようになりました。とにかくあきらめないで、つづけることです。がんばりましょう! 

─ありがとうございましした。これからのご活躍にも期待しています。

「よみタイム」ニューヨーク・イベント情報誌

<ニューヨーク・イベント情報誌 「よみタイム」 VOL189. 2012 年 9 月7日号>から抜粋 

地下鉄ミュージシャン 高木靖之さん 

原点に立ち、初心取り戻す -  ヤズバンド10周年記念ライブ 

 9月14日(金)に念願の10周年記念イベントを行う、ヤズこと高木靖之さん。初のベスト版となる5枚目のCD「All For Love : Best of YAZBAND」も完成した。 

 MTA(ニューヨーク市交通局)傘下の「ミュージック・アンダー・ニューヨーク」のオーディションに02年に合格。以来、グランドセントラル駅やペンステーション駅構内を中心に演奏をつづけてきたヤズバンド(Yaz Band)。テナーサックスの高木さんのジャズグループだ。ノリのいい、グルーブ感いっぱいのサウンドは、忙しいはずのニューヨークの地下鉄利用客の足を釘付けにしてきた。活動は耳の肥えた多くのニューヨーカーのハートを鷲づかみにしてFOX5やCBSなどキーテレビ局でも紹介され、FMラジオ局やケーブルテレビにも出演、日本のメディアや旅行ガイド本などにも登場するほどの勢いをみせる。 一方で「ミュージック・アンダー・ニューヨーク」プロジェクトの審査員を三度務めるなど、その実力に対する評価はきわめて高い。 

 ニューヨークに来たのは92年。ヤズバンドとしては10周年記念でも高木さんの胸の内では20周年記念だ。「こんなに長居するつもりはなかったんですよ」。ただ無性にニューヨークの空気が吸いたかった。ジャズの最先端に身を置けば自然と技術も向上するんじゃないかという思いで、29歳の青年の頭はいっぱいだった。まわりの音楽仲間がニューヨークに渡り、ニューヨークで活躍する知人のうわさも耳に入り、居ても立ってもいられなくなった。 

 サックスを始めたのは大学に入ってから。早くはない。大学のブラスバンド部で初めてサックスに触れた。「それまでジャズは好きで聴いていたんですけど、自分で弾くというチャンスがなかった」という。モダンジャズというより70年代だったので、フュージョンのハシリみたいなものをよく聴いていましたね」。サックスを手にしたあと、自分でもジャズをやってみたいと、強く思うようになる。出身は大阪だが京都でプライベートレッスンを受けるようになり、音楽仲間とセッションを楽しんだ。大学卒業後は専攻した障害児教育を生かして福祉施設に勤務。指導員として知的障害者の職業訓練を含むプログラムに従事した。かたわら、止むことのないジャズへの情熱は膨らむ一方、そんな中、「友人のニューヨーク行き」が大きな刺激に。加えて職場環境の変化にも後押しされて、とうとうサックス一本を片手に夢に見たジャズの本場の土を踏む。それからは苦労の連続。めげそうになりながらも自分なりの音を追い、サックスの先生の厳しい指導にも歯を食いしばって耐え、腕を磨いた。 

 10年目にようやくつかんだニューヨーク市公認の地下鉄ミュージシャンというステータス。いろんな人に声をかけられることが増え、誰の目にも着実にメジャーへのステップをのぼる高木さんの姿が見えた。2年前、全米デビューを目指してあるエージェントと契約を結ぶ。ところがこれがケチのつき始め。悪質なエージェント、無責任なプロモーター、怠慢なPR担当にふりまわされた。活動は続けたものの常に契約が重荷となり、おのずと制限を加えざるを得なかった。その契約も今年1月にようやく終了。「もう完全に人間不信に陥りました」と今では思い出したくもない様子だ。音楽専門学校で学んだ経験のない高木さんには、学校関係のつてを頼るすべはない。「今はなにより解放感がうれしいですね。これからしばらくは僕の原点である地下鉄に戻って、ニューヨークに来た時の初心と向き合いながら自分の技術をもっと高めることに専念します」と言葉を選びながら話す。「音楽ビジネスの波にうまく乗るということと、音楽を演奏するということはやっぱりどこかが違うような気がしますね」 

 年に一度帰国すると中学や高校の同窓会の誘いがかかることも多い。「いまのところ同級生たちについ引け目を感じちゃってまだ一度もでていないんですよ。いつか自分も胸を張って凱旋公演が出来たらいいんですけどね」と笑う。10年に及ぶ公認地下鉄ミュージシャンという勲章と実力を頼りに、原点からの再飛躍を期待したい。 

(塩田眞実)

「朝日新聞」

<「朝日新聞」  2008 年 1 月 10 日>から抜粋 

ニッポン人脈記 

マイ ニューヨーク ③   「地下鉄」から飛び出せ 

 星座模様の大きなドーム天井で知られるグランドセントラル駅は、 1 日 15 万人を超える通勤客が行き交う。その地下鉄構内は、ちょっとした音楽名所である。 
 ある日の夕方、高木靖之( 44 )が率いるジャズグループ「 YAZ バンド」の演奏がはじまった。構内に高木のサックスが激しく、切なく流れていた。ドラムもキーボードもベースも日本人で、みんなぴったり息が合っている。くたびれたサラリーマンたちの足が止まり、緊張した顔がほぐれる。 
 バンドのメンバーは、リーダーの高木をのぞけば、けっこう入れ替わる。安定してやっていけるのはニューヨークでもほんの一握りで、多くの音楽家はバンドをかけもっている。 
 ニューヨークのメトロポリタン交通局は、鉄道と地下鉄の駅を快適にしようと、ミュージシャンやパフォーマーを厳選し、演奏を許可している。 85 年から続いている制度で、現在 100 組以上が 25 カ所で毎日のように演奏している。高木は 02 年に応募、日本人では珍しい公認の“地下鉄ミュージシャン”である。 

 この日の「 YAZ バンド」 4 人を紹介しよう。 
 高木は大阪府出身。父はジャズレコードの収集家。その影響か、大学に入って初めて部活でサックスを吹いた。福祉施設で働きながらジャズスクールに通い、 5 年の後ニューヨークに出てみた。 16 年前の春だった。 
 しかし、待っていたのは自信喪失の日々だった、「日本で全然知られていないような人がすごい演奏をしている!」。そんな人がどこのクラブにもいっぱいいた。 
 「僕の入り込むスキなんて全くない!」 
 ビザ切れ寸前のある日、高木は公園で練習していた。男がつかつかと寄ってきて「そうじゃない、貸してみな」。サックス奏者ロブ・シェップスだった。 
 高木は不法滞在覚悟でロブのレッスンを受け、アパートの地下室で朝まで練習し続けた。評判は徐々に高まり、CDも 3 枚出した。「だけど地下鉄だけで終わっちゃうのはいやだ」。書店でアルバイトしながら次への飛躍をめざす。 

 キーボードの神田斉(34)は名古屋生まれ。高校時代はキーボードに狂った。大学を出て居酒屋チェーンの店長に。周りを見ながら寝るまもなく働くレールは嫌だと 7 カ月で辞めた。 
 寮暮らしで留守していたアパートに戻ると、物置にほこりをかぶって残ったキーボードが目に入った。高校時代の熱がよみがえった。 
 ボストンのバークリー音楽院で腕を磨き、ニューヨークに来たのは 05 年 5 月。貧しくとも音楽で自立すると決めた。バーで演奏中、知り合った黒人プロデューサーを通じ、高木と出会ったのは 06 年春だった。 

 ベースの息才隆浩(39)は北海道・函館出身。高校時代にバンドコンテストで頭角を現し。東京、福岡で音楽の道を探ったが、無名の若者にチャンスは少ない。就職しようと函館に戻った。 
 ある日、有名なソウル歌手がツアーで函館に来た。バックの一流ギタリストに頼んだら、夜中に一緒に演奏してくれた。「何だお前、すごいじゃないか」と認めてくれた。31歳でニューヨークに来て、 3 年ほど前から高木と共演し始めた。 

 ドラムの宮本慎也(36)は広島育ち。幼稚園から賛美歌に親しみ、ピアノ、キーボード、ドラムと音楽一筋。バークリー音楽院に学び、 95 年にニューヨークへ。 
 01 年に高木と出会う。「ここではまだアジア系が音楽で人を魅了する状況は作られていない」。だから自分達の手で、と高木たちとの演奏に張り切っている。 

 4 人の音楽の道が出会ったニューヨーク。グランドセントラル駅での演奏は午後 6 時に終わった。「グッド!」「グレート!」。白人や黒人通勤客と握手。チップ用の段ボール箱は半分まで 1 ドル札で埋まっていた。 
 「じゃあ、また」。 4 人は別れた。別のバンドで演奏したり、 YAZ バンドで共演したり、それぞれの音と夢を追う。 

                                             (都丸修一)

「地球の歩き方 ニューヨーク」

<「地球の歩き方 ニューヨーク」 2006 年‐ 2007 年版>から抜粋 

駅がステージ!人々を魅了する演奏 "YAZ BAND" 

 たくさんの人垣の中から聞こえてくる陽気なジャズの音楽。ここはNYの地下鉄駅構内だ。演奏しているのは高木靖之さん率いる YAZ BAND 。 2002 年に結成し、ミュージック・アンダー・ニューヨーク( MUNY )のオーディションに合格。それ以来、週 2 回の地下鉄駅構内のライブを中心に活動している。 

 YAZ こと高木靖之さんは、幼い頃から父親のジャズコレクションを聞きながら育った。とはいうものの音楽の専門的な教育は受けることはなく、 高知大学に入って初めてサックスを手にした。 卒業後、大阪に戻り、知的障害者のための職業訓練施設で働いたが、音楽をあきらめきれなかった彼は 1992 年にNYへ。しかし、ジャズの本場は甘くない。NYのジャズミュージシャンの高い技術を目の当たりにして自信を失った。そんなある日、セントラル・パークでの練習中、 Rob Scheps というサックスプレーヤーと出会う。 Rob のレッスンを受けながら、皿洗いのアルバイトをし、帰宅後アパートの地下室で朝まで練習する日々が続いた。永住権取得後は、夜に音楽活動ができるよう、日系の旅行会社で働き始める。ジャムセッションやストリートで演奏を重ねるうち、ニューヨークで活動する Joy Ryder & New York Rhythm Allstars, Sly Geralds Band, Since When? などのバンドに誘われ、レギュラーメンバーとして演奏するようになった。しかし、 2001 年の同時テロが彼の運命を変えた。旅行会社を首になり、フルタイムミュージシャンになる事を決意、ストリートの演奏を続けた。 

  02 年、メトロポリタン交通局主催の MUNY のオーデイションに見事パスし、地下鉄駅構内で演奏する許可を取得した。演奏は、 サックス、キーボード、ベース、ドラムの 4 名編成で行っている。ストリートで彼らが演奏をはじめると、みるみる人垣ができてゆく。 しばしばメディアにも取り上げられ、' 04 年 2 月にはNYのテレビ局 FOX5 のニュース番組に、 6 月には日本の週刊誌 AERA にも載った。さまざまなイベントでも演奏し、‘ 05 年 2 月には 2 枚目のCD「 You Can't Say It In Public 」が完成した。現在も精力的に活動している 。